東洋医学は“非科学的”なのか?
腸セラピストとしての私の見解
こんにちは。日本腸セラピー協会 代表の加藤です。
腸セラピーという仕事に携わっていると、たびたびこんな声を耳にします。
「東洋医学って、非科学的ですよね?」
「エビデンスがないんじゃないですか?」
たしかに現代社会では、「科学的かどうか」が信頼の基準とされる場面が多くなりました。
そして、東洋医学はその対極にあるものとして、どこか“あやしいもの”というレッテルを貼られがちです。
では、本当に東洋医学は“怪しいもの”なのでしょうか?
今回は、私自身の経験を通して感じていることを、少しじっくりお話ししてみたいと思います。
東洋医学は「科学的ではない」 それは事実。でも…
まず最初に申し上げておきたいのは、
「東洋医学は科学的ではない」という指摘には、ある程度私も賛同しているということです。
なぜなら、そもそも東洋医学は“科学”という土台の上で構築されたものではないからです。
「証明されたメカニズム」や「再現性のあるデータ」によって成立しているわけではなく、
何千年にもわたる“人の観察”や“経験則”によって受け継がれてきた医学だからです。
ですが、それをもって「だから効果がない」「だから信頼できない」と言い切ってしまうのは、
あまりにも一面的な見方ではないかと感じています。
科学がすべてを説明できる時代ではない
たとえば、レントゲンが発明されるまで、私たちは体の内部を“目で見る”ということができませんでした。
レントゲンが科学として確立されたことで、ようやく「体の中を見る」という視点を持てるようになったわけです。
また、今では「運動中の水分補給」は常識ですが、
ひと昔前の部活動では「水を飲むのは根性がない」と言われていた時代もありましたよね。
当時の「常識」は、科学が追いついていなかっただけ。
科学というのは、絶対的なものではなく、
“いまの時代における仮説”や“現段階の理解”に過ぎないということを、私たちは忘れてはいけないと思います。
もしかすると
100年後の人類は、「当時はあの薄いマスクを信じていたらしい」と、
2020年代の私たちの行動を笑っているかもしれません。
それでも東洋医学は、何千年と受け継がれてきた
一方で、東洋医学は「何千年も続いてきた経験の医学」です。
季節と体調の関係、臓器と感情のつながり、未病という概念
科学が証明していなくても、人の感覚として「そうかもしれない」と腑に落ちる知恵が詰まっています。
たとえば、年始には初詣、お盆には墓参り
私たちは日常生活の中で、科学では説明できないことに自然と意味を見出しています。
それなのに、いざ“医療”や“健康”の話になると、
「科学的かどうか」によって、東洋医学は切り捨てられがちです。
でも、それってちょっと不思議ではないでしょうか?
西洋医学は万能か? 自然治癒力や未病の視点はない
誤解のないように言えば、私は西洋医学を否定するつもりは一切ありません。
検査や診断、緊急処置の技術は素晴らしく、命を救う場面での力は本当に尊いものです。
ただ一方で、西洋医学には存在しない概念もあります。
それが「自然治癒力」と「未病(まだ病になっていない状態)」という考え方です。
風邪をひいたときに自然に治る力。
不調の一歩手前で、体が「ちょっと休んで」とサインを出してくれる感覚。
こういった、人が本来持っている力を大切にするのが、東洋医学の視点です。
私はこの視点こそが、これからの“予防”や“ウェルネス”の時代にこそ必要だと感じています。
科学だけでは見えないものが、確かにある
私たちは、数字やデータだけでは語れないものに日々触れています。
- 誰かにやさしく触れてもらったときの安心感
- 気が通じると感じる瞬間
- 腸がゆるんだ瞬間に流れ出す感情の涙
こうした“体験”は、科学的なエビデンスがなくても、たしかに「そこにあるもの」です。
東洋医学は、そういった“見えないけれど、確かにあるもの”に向き合ってきた医学だと私は思っています。
まとめ──視野を広げて「科学」と「知恵」の両方を活かす
東洋医学は科学的ではない。
でも、それは決して「間違っている」でも「怪しい」でもない。
むしろ、科学がまだ追いついていないだけで、
これから解明されていく可能性を多く秘めた“叡智”ではないかと思っています。
私たち日本腸セラピー協会では、東洋医学の知恵をベースにしながら、
現代の生活に活かせる腸のケア方法を伝えています。
大切なのは、視野を狭めずに、科学と知恵の“いいとこどり”をすること。
そして、自分の感覚を大切にすること。
あなたが健康でありたいと思うとき、
選択肢の一つとして、東洋医学の視点をぜひ取り入れてみてください。
体と心の声を“聴く”習慣が、きっと日々の暮らしをやさしく整えてくれるはずです。